最近、隠遁生活を過ごすうち、
過去の出来事を懐かしんだり拘って生きると、
もしかするとろくなことが無いんじゃないかと思い始めた。
「過去の出来事」は僕の中では「点」とか「線」、あるいは2次元的な記録に過ぎないもの。
しかし「過去の思い出」は、何か、こう、過去の出来事に
「時間軸」という要素が加わって、点や線でしかなかった過去の出来事が
3次元的なものに膨らみ始め、詩のようなものを紡ぐのを感じる。
年を取ると、記憶も思い出も生き方も消去法だ。
不必要なものがどんどん頭や心から抜けていく。
案外、人間は身体も心も最後は抜け殻に近いもので終わるんじゃないかって思う。
何となく、良い思い出しか残らないかと思うが、
案外飛んでもなく悪い思い出も心の隅にしぶとく居座り続ける。
そうだ、、、旅に出ようと思った。
記憶や思い出が薄れて消えてしまう前に、
「思い出の上書き」がしたくなったのだ。
不思議なことに、人生の鮮烈な思い出は夢には余り出てこない。
イスラエルのベツレヘム近郊でみた荒野に沈む、言葉を失うほどの見事な巨大な月。
バルト海に浮かぶ岩の様に小さな島々で一日中夢中でやった釣り。
イスタンブールの海岸沿いのレストランの窓越しに眺めてたボスポラス海峡の風景。
こんな鮮烈な思い出がたくさんあるのに、、、
何故かいつも見る夢は子供の頃に小学校に行くのに通学路から外れ、
近道で突っ切ってた田んぼの畦道とか。
高確率で蚊や蜂に襲われてもいつも遊んだ山の麓の神社の境内とか。
朝露が残る早朝の蒼い匂いのする川の土手。
そんな思い出や風景を繰り返し夢で見る。
こんなコロナのご時世だから、思い切った旅は出来ないし、
きっと不自由な旅になりそうだけど。
不自由なりに工夫して、前を向いて生きて行こう思った。
もう2年くらい、ほとんど人混みに行ってない。
もっぱら自転車に乗って原っぱで写真を撮って遊んでた。
やっと最近、客の少ないレストランを選んでたまに食事をするようになったけど、
テイクアウトやスーパーの総菜の方がまだまだ安心に感じる。
電車や新幹線は恐いので、絶対に乗らない。
なので、この旅も新幹線や飛行機じゃなくて、自動車旅1択だな(=_=)
故郷への旅はいつも特別に感じる。
もう実家も無いので、帰る度に「故郷に帰るのもこれが最後かなぁ」って正直思う。
思い出の中の田んぼの畦道や川の土手は、
今も暖かく迎えてくれるだろうか。
どんな旅になるのかは分かんないけど、
「思い出の上書き」は出来るだろう。
なんだか、夢に出てくる自分の思い出への「けじめをつける旅」になるんだろうか。。。
でも、それでいいんだよ。。。
Tamatono / Sept. 05, 2021